「おきうと」のための詩

博多華丸大吉が出てくるパチンコ屋のローカルCMシリーズの中に「福岡の食べ物で最強の打線を組んでみよう!」というのがある。1番「豚バラ」、2番「ゴマサバ」、3番「明太子」、4番「水炊き」、5番「ぬかみそ炊き」、6番「もつ鍋」、7番「うどん」、8番「おきゅうと」、9番「ラーメン」。これが華丸大吉が組んだ最強打線。食い物には興味がないので、もとよりこの打順に異論反論などあろうはずもなくて、それにしても気になるのは華丸に「福岡美味いもんばかりやからここいらでアウト取っとかんと試合終わらんばい」と云われてしまうような8番打者、「おきゅうと」の存在である。
「おきゅうと」は福岡県福岡市を中心に食べられている海藻加工食品で、「お救人」、「浮太」、「沖独活」とも表記される。見た目はこんにゃくのようで、喉越しはところてんに似ているがもう少しだけ歯応えがある。5ミリくらいの厚さに短冊切りにして鰹節、ゴマ、おろし生姜、ネギなどをのせて醤油や酢醤油をかけて食べる。名前の由来は、「沖で取れるウドと云う意味」、「享保の飢饉の際に作られ、救人(きゅうと)と呼ばれるようになった」、「漁師に製法を教わったため「沖人」となった」等諸説あり。主に朝食においてメシのおかずとして供される。wikiその他からまとめると、「おきゅうと」とはザッとこんな食い物である。ザッとも何もこれがすべてで、食べ物としての「おきゅうと」はこれ以上でも以下でもない。しかし、福岡市で生まれ育った人間にとってそれは「おきゅうと」の何の説明にもなっていないのもまた事実である。「おきゅうと」は我々にとってはもっとこう、ある種の詩や歌でしか表現できないような思いとともに存在している。ソウルフードと呼ばれる所以だろう(本来の「soulfood」は、日本でやたらと安売りされているような「地元で愛されている食べ物」などと云う意味ではないらしいが、面倒なのでそこは追求しない)。華丸大吉が組んだ最強打線の中でも「おきゅうと」はその在り方の詩情と複雑さにおいて際立っている。
まず、「おきゅうと」は美味しくない。と云うか美味しくもないし不味くもない。ところてんと同じで、その物に味はない。栄養もあまりない。他県から来た人間に食べさせても「ようするに緑色のところてんだね」と云われそうだから食べさせる気にもならない。自分が他県で生活するようになったとしてもおそらくその味を懐かしむことはないだろう。取り寄せてまで食べたいとは思わないだろう。クリーンナップを打つような連中とは違って出しゃばらず主張しない。県を跨いで勝負しようなんて決して考えない。じゃあ、落ち着いたベテランの風格があるかと云うと、なにせ味も栄養もない身の上だから中身は結構軽い。はっきり云って実質からすると「おきゅうと」は吹けば飛ぶような存在なんで、それを支えているのは福岡市周辺市民の(県民ではない。「おきゅうと」の力は豊前北九州、筑後久留米地域にすら及ばない)盲目的な愛と信頼である。他に誇るほど大それた物ではないけれど、いつも変わらずそこにあった物、これからも変わらずそこにあるであろう物に対する合理主義から遠く離れたささやかで爽やかな敬意の結晶が「おきゅうと」なのである。なんて云うと「おきゅうと」さんはきっと嫌がるね。しかし、もし僕が一人マウンド上で厳しい局面に立たされていたとしたなら、「ラーメン」さんよりも「うどん」さんよりも「もつ鍋」さんよりも、「おきゅうと」さんのような人にこそ声を掛けて欲しいと思う。「大丈夫まだやれる」と。あるいは「お前はもうダメだ」と。云うことをきくかどうかは分かりませんが(笑)。

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Posted by aozame