二十五歳の娘が映画「イエスタデイ」を観に行った話

2019年11月17日

 今年二十五歳になる僕の娘が映画「イエスタデイ」を観に行った話をしてくれた。
 彼女に「イエスタデイ」のことを話したのは僕だったから先を越された形である。

「イエスタデイ」は気になっていた。西日本新聞のキザなコラムで映画の存在を知ってからというもの、ラジオやテレビで宣伝を見聞きするほどに胸が高鳴るような内容だった。売れない若いミュージシャンが交通事故に遭い、昏睡状態から目を覚ますと世界からビートルズが消えている。主人公は記憶の中のビートルズの楽曲を再現し披露することでスターになっていく。「物語はジャック(主人公)の驚きや興奮、戸惑いや葛藤、そして喜びがビートルズの珠玉の名曲とともに語られていく。」(hpより)。なんてさ、スリリングで優しく美しいじゃないですか。しかも監督はダニー・ボイル。これは期待せずにはおられない。しかしここであえて疑問を呈するなら、果たしてビートルズの曲は今この時代にあの一曲一曲を切り離して誰か別の人間が披露したとしてそれが受け入れられるものだろうか。「The Long and Winding Road 」や「Let It Be 」ってそんじょそこらの馬の骨がいきなり歌い出したからって耳に留まるか?とも思うのである。もう絶版になってしまったが、かつて角川文庫から「ビートルズ詩集」というのが上下二巻本で出てた。ビートルズの歌をアルファベットの「A」から順番に「Z」まで並べると云う構成だった。片岡義男の訳がとんでもなく良くて、これを読むと他の翻訳なんてビートルズに関する限りあり得ない。高校生の頃僕はこの本を父親の本棚からくすねてページが変色するほど何度も開いたものだ。もう随分目にしないが今でも僕の本棚のどこかにそれはあるだろう。あとがきで片岡が云ってる。「ビートルズというのはただのスパースターなんかじゃなくて、それは一つの事件だった」。それはあの時代あの時にしか起こり得なかった「事件」だった。プレスリーがいてディランがいてベトナム戦争があって他にも世界で様々な出来事が続いてその中で起こった一つの「事件」だった。だからね、「イエスタデイ」が一曲今降って湧いたからってそれがあの「イエスタデイ」になるかってのは大いに怪しい。もしかして、むかし女の子が歌ってた「tommorrow」みたいな「yesterday」になっちまうかもしれないじゃないか。ってなことは頭をよぎった上でなおかつ映画「イエスタデイ」には心が惹かれた。

 僕の娘はピアノが弾ける。フルートも吹ける。ギターとあと三味線も弾く。作曲もする。これがまあなかなか玄人の域に達してるんじゃないかって曲を作ったりするから驚く。何年か前にポールが福岡ドームに来た時は一緒に観た。要するに何が云いたいかと云うと、彼女は音楽に馴染み、ビートルズの歌も二十五歳と云う年齢のわりにはよく知ってると云うことである。

「イエスタデイ観たよ」
「えっ!?まじで?面白かった?」
「う~ん、まあまあかな」
 期待させ過ぎたかもしれない。彼女はだいたい予想通りのストーリーを淡々と話してくれる。
「オアシスがいないんだよ」
 なるほど。ビートルズが存在しないとオアシスもいない。おもろいね。
「あとコーラとタバコがない」
 意味がわからん。
「理由は忘れた」
 そ、そんな…。まあいいけど。
「ここから先はネタバレになるけど話していいの?」
 まったく気にしない。全然構わない。

 しかし、彼女が大して面白くもなさそうに語るそこから先の話は僕にはちょっと衝撃的な程に感動的なものだったのである。そうか、ビートルズがいないならそりゃあそうなるよな。そのシーンが僕の頭に勝手に次から次に在り在りと浮かぶ。勝手にビートルズが聴こえてくる。オアシスが聴こえる。primalscreamが聴こえる。ben foldsが聴こえる。RC Successionも聴こえる。ブルーハーツすら聴こえる。この映画はそう云う映画だったんか。すっかり言葉を失っている僕を尻目に彼女は「ね、そんなに大した話じゃないでしょ」と云った風に話し終えた。

「最後にオブラディオブラダを主人公が弾き語るところで終わるの」

「オブラディオブラダ」と云えば歌詞の中で覚えている部分は一ヶ所しかない。「life goes on, bra. la la la la life goes on 」。そう、人生は続く。僕のもあなたのも。そして彼の人生も。なんてこった。
 もう、この映画を観る必要はないな、と僕は思った(笑)

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Posted by aozame