ビルマに竪琴

2022年6月22日

 東南アジア地域が何故か特別好きです。
 ミャンマー のことが気になって4月は何冊か本を読みました。

1『東南アジアの歴史ー人・物・文化の交流史』桐山昇/栗原浩英/根本敬 有斐閣
2『ビルマの竪琴』竹山道雄 新潮文庫
3『大乗起信論』宇井伯寿/高崎直道/訳注 岩波文庫

 思いつくままに問うなら、

問1 ー 自国民をあれほど大規模に軍が躊躇なく弾圧できるのは何故か?
問2 ー それを行うだけのいかなる理由があるか?利権?信条?憎悪?
問3 ー ミャンマーといえば上座部仏教国である。信仰は厚い。弾圧を行う側の人々に仏教が何らかの影響を与えることがあるか?そもそも本当に彼らに信仰があるか? 
問4 ー 敬虔な仏教徒として、彼らが旧世界の仏教的秩序を守ろうと使命感を持って民主主義の進行を阻もうとしている可能性はあるか?
問5 ー 現場で動いている兵隊たちはどんな人々なのか?
問6 ー 僧たちは現状をどう見ているのか?
問7 ー 宗教なんて国家的大規模な暴力の前には何の意味もないんじゃないか?

 書き出して見て我ながらナイーブに過ぎる見当はずれな問かもなと思ったので、近所の先生にご意見を伺ったところ、だいたい次のようなドライな答を頂いた。

答1 ー 何故同胞を殺戮できるのかなんて君そんな例は古今東西いくらでもあるでしょ。だいたい「同胞」って何だよ?そもそも「国」なんてのはね「nation」なんて概念はね、近代も最近になって現れたものですよ。同民族だろうが同宗教だろうが殺す奴は殺すんだよ。
答2 ー 利権でしょそれは。
答3 ー あいつらに信仰なんかないよ。
答4 ー そんなこと考えてるわけがないしそんなの理由にならん。
答5 ー 兵隊はどこの国でも上の命令に従います。現場では突発的な憎悪の感情はすぐに生まれます。

 先生、お忙しいところすいませんでした。「nation」の件は新鮮でした。「no country」なんて「イマジン」の中にしかないものだと思ってました。ありがとうございました。

 僧たちの中にも民衆を支持して動いている人と軍を支持している人がいる。それぞれがそれぞれの見解を持っているようだが、僕がyoutubeで見た僧たちはどちらの側にしても僧としてというよりは一個人としての考えを述べているようにしか見えなかった。仏はどこにいるのか?暴力に対して仏は無力か?
 テレビのドキュメンタリー番組によると軍は影響力のありそうな民主派の論客を片端から拘留拷問しているらしい。なんとかいう詩人は拷問の後に殺害され、遺族の元に戻された遺体は臓器がそっくり抉り出されていたという。僕にはそんな拷問は耐えられない。考えるのも恐ろしいが、もし自分がそんな目にあったとしたなら…、そんな時は神仏を思うかもな、と思うのである。助けてくれ、というのではなく、ただ思うかもなと。仏は加害者の側にはいなくても弱い者の前にはやはり現れる。そう思う。そんな仏なら要らん。とは言えない。でも、そんな仏は、情けない。
「だから宗教なんてくだらないんだよ」と僕の嫁さんなんかはあっという間に切り捨てた。

「 タイやビルマでは正法(しょうぼう、ダンマ)に基づいて国王が統治をおこなう体制を理想とする独特の上座仏教国家が形成され、国王たちは出家僧から成る仏教僧団(サンガ)の清浄性によってダンマが確保されると考え、その清浄性は出家僧が戒律を正しく守ることによってのみ維持されると信じた。よって国王はその実現のために、つねに在家者の模範として出家僧の生活を財政的に支援し(財施)、彼らが修行だけに専念できる環境を与えることに力を入れた。またサンガのほうは、国王に対し支配の正統性根拠を与えるとともに、ダンマと理想的仏教王のあり方を王に教える存在であると見なされた(法施)。両者はこの意味において互恵的関係を確立するようになったが、一方、一般の在家信徒たちは、修行に専念する僧侶たちに対し、食事の提供や日常生活の世話をすることを通じて功徳を積み、それにより良き来世をめざすことができるという信仰をもつようになった。」
『東南アジアの歴史ー人・物・文化の交流史』より

 かつて小さい乗り物という意味で「小乗」と蔑称で呼ばれた上座仏教を国教に抱く統治とはそのようなものだ。為政者、民衆、坊さんそれぞれするべき仕事がはっきりと別れている。これは上手く行くならとてもいい分業システムだ。自分の得意なことだけ考えて生きていればいいなんて素晴らしいじゃないですか。しかし、このスタイルだと為政者と出家はとりわけしっかりしてないとロクでもないことになる。そしてこの場合、三者は本質的なところで交わることがない。仏教的本願を遂げて解脱する可能性があるのは坊さんたちだけで、民衆は相変わらず輪廻の喜怒哀楽に取り残される。「小乗」と呼ばれる所以だ。坊さんたちは俗世で何が起ころうと関係ないとなりがちだ。例え国家が民衆を虐殺したとしても。実情はどうあれ、仮に坊さんたちが社会情勢なんか知ったことか!と考えたところで、それは仏教原理的には間違ってない。全て「執着」「煩悩」から逃れることが仏教の目標で、彼らはそのためにこそ辛い修行に日々励んでいるのだから(誰か間違ってたら教えて下さい)。

 そして、

「そんなことでホンマにええのん?自分!?外の世界では苦しんでる人々がたくさんおるのに自分たちだけ勝手に解脱しちゃってええのん?知ったことか!でええのん?そんな唯心論が事実だったとして、それって自分ら説明責任果たさんでええのん?let’s 皆んなに喰わせてもらった義理バ果たそうゼヨ」

 そんな当たり前の疑問とともに紀元前後に生まれたのが「大乗仏教」である。たぶん。
『大乗起信論』はそれまでの出家者中心の仏教を批判し、在家者を重視した利他中心の立場をとろうとする仏教革新運動、「大乗仏教」の理論と実践の両面から成る教義を要約したものだ。
 インド人は『大乗起信論』にてこんなことを言う。

真如薫習義有二種。云何為二。一者自体相薫習、二者用薫習。
自体相薫習者従無始世来具無漏法、備有不思議業作境界之性、
依此二義恒常薫習、以有力故、能令衆生厭生死苦、
楽求涅槃、自信己身有真如法、発心修行。

<心の真実のあり方からのはたらきかけ>(真如薫習)にもまた二種がある。どんな二種か?第一はその自体がもつ特質に由来するはたらきかけ(自体相薫習)、第二はそのもつ機能に由来する(他からの)はたらきかけ(用薫習)である。
 このうち、第一の、心の真実のあり方自体が本来もっている特質に由来するはたらきかけ(自体相薫習)とは、<心の真実のあり方、すなわち自性清浄心には>その始まりも知られない遠い昔から、煩悩に汚されない諸徳(無漏法)が具わっており、人知を超えた不思議なはたらきをもっていて、<妄心のまえに、目標とすべき>対象となってあらわれる。この二面<すなわち内心からの覚のはたらき(智)をおこすこと、その対象、所縁となること>によって、つねに絶え間なくはたらきかける。しかも<積極的に果をもたらす>力があるので、衆生をして生死の苦を厭って、涅槃をねがい求めさせ、自己のうちに真実のあり方が本来具わっていることを信じて、発心し、修行させるのである。

 どうです?
 わけわからんですか?僕にもよくわからんです。だいたいカッコつけすぎなんだよね。要するに、「仏性」は誰の心の中にも元来ある。だからそこを目指せ。そのエッセンス以外は余計なものだから皆迷わずに発心修行しなさい。出家に任せるのでなく誰もが皆仏になれ。それはすでにそこあるのだから。という話なんじゃないか、と僕はとりあえず理解した。だとするとこいつはすごいですね。皆が仏になるなんて夢のような世界だ。仏になれなくったって仏になろうとするだけでも争いなんてなくなりそうだがこれは大変なことだ。誰にでもできることだとは到底思えない。僕はビートルズの『carry that weight』を思い出しながらこの本を読んだ。音楽評論家の渋谷陽一が昔ラジオでこの曲を掛ける際に、これはビートルズが最後にファンに向けて放った冷酷な訣別の辞だと言っていた。「これからは自分たちでその重荷を背負って生きなさい」というわけだ。もう俺たちに頼らず自分たちで考えて生き延びろ、そうポールは我々に言っているのである。そんなこと言われてもねぇ…。しかし、環境問題を始め現代の社会問題を鑑みるとどうやら本当に皆が仏を目指さねば早晩人類は滅びるのじゃないかと思えないでもないのである。
 大乗仏教教義があながち絵空事とも言えないのは、それが気の遠くなるほど長いスパンを想定して人類の救済を説いているところにある。例えば、弥勒菩薩は釈迦入滅後5億7600万年の後に衆生を救いに現れる(ちなみにその間無仏の世界を見守るのが地蔵さんの役目)。人類の歴史はまだまだ浅い。サメやゴキブリは数億年前から地球にいるが、ヒト属なんてせいぜい数百万年だ。5億年の後には人類だって皆仏にかなり近づいているかもしれないじゃないか。弥勒の前にいる進化を遂げた人類の子孫は現代の我々とは似ても似つかない姿をしている可能性はあるけれど、諦めるには明らかにまだ早過ぎるのである。

 最後に『ビルマの竪琴』のこと。
 四十年ぶりに読みました。作者の竹山氏は戦争にもビルマにも行ったことがないそうです。小説の舞台もお坊さんがいるところなら別にどこでも良かったが、小説のキイになる『埴生の宿(Home Sweet Home)』はイギリス民謡なのでイギリス兵がいなければ話にならない。それならばビルマ戦線しかないだろうということだったらしい。あらためていい話でした。
 読んでから近所のゲオに映画のDVDを借りに出かけたものの、いつ行っても貸出中でまだ観ることができてない。

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Posted by aozame