その男、吉田健一

2022年6月22日

 吉田健一という作家がいた。
 吉田健一がどういう人だったかというのは、知っている人は知っているし、知らない人は知らないだろう。当たり前だ。もっと言うと、知っている人はよ~く知っているだろうし、知らない人、興味のない人は一生その名前を耳目することすらないかもしれないと思われるような種類の、しかし偉大な作家である。ミュージシャンに例えるなら、ザ・バンドみたいな感じだろうか。違うかな。
 吉田健一は1912年に生まれて1977年に死んだ。わたしが学生だった30年前、1990年前後ににちょっとした吉田健一ブームがあったような気がしていて、著名なキラ星現役作家たちが尊敬を持ってその名を口するのを文芸誌で度々目にした。とは言え、だいたい同時期に盛大な第二次ブームを迎えていた寺山修司と比べるとかなり質素なものだった。絶版になった作品群が再販されるでもなく、柳瀬尚紀だの高橋源一郎だのが絶賛する文章を読んでから紀伊国屋はおろか神田や高田馬場の古本屋を巡ってみても吉田健一の本を見つけることはできなかった。だから仕方なく大学の図書館で借りて何冊か読んだ。大した感想はなかった。文章が独特なんですよ。ダラダラと長い、句読点をバカにしたようなうねるような文章を書くんですよ。ドイツ語の先生が「ドイツ語の関係代名詞は意味もなく文章を繋ぐことができて内容のない長文が簡単に作れます」というようなことを言っていたのを思い出しながらなんとか最後まで読んだのを覚えている。
 30年を経て今目の前に吉田健一の本がある。知り合いの英語の先生が譲ってくれた。あらためて読んでみたらとても面白かった。
 吉田健一は英文学者でフランス文学の翻訳もした。評論文を書き、小説のようなエッセイや、エッセイのような小説をたくさん書いた。「代表作」なんてのがないのがこの人らしいところだ。吉田健一の父親は総理大臣の吉田茂である。血縁を遡ると曽祖父は大久保利通。降ると麻生太郎は甥。親戚なんてどうだっていいようなものだが、吉田健一に関してはこの血縁の振り幅の凄まじさがその文章と人柄をよく表しているようにも思える。幼い頃から海外生活を送り、青年時代は父親への反発から乞食の真似事をした。先輩がヤクザに絡まれていたら一人でその場を納める。頗る育ちが良くて実に下品な振る舞いもする。三島由紀夫を苛めている様なんか酷いものだ。そして恐ろしく博学。
 30年ぶりに吉田健一を読んで「中道」と言う言葉が思わず浮かびました。アリストテレスじゃないが、中道ってのは難しいです。ネットに溢れるチマチマと浮ついて固いデジタル方式の言葉とは対照的なぶっとく聳えて人を包み込むような言葉を上品で下品な吉田健一は溢れるように口走る。どこまでもいつまでも乗り継いで行けそうな良質の波みたいな確かな言葉を。

『故郷』吉田健一

 外国に行くと、日本が恋しくなるというのは少なくとも日本の場合は、遠くなった為だけではなさそうに思える。どこの国の人間でも、自分の国を離れれば、ある程度はそれまでと別な角度からその自分の国を眺めることになるのに違いない。併しそれが我々日本人では、日本がそう特殊な離れ島ではなくなって、やはり多くの国々の一つである点で他のと違っていないことが解って来るのではないだろうか。それならば、その日本に却って惹かれることはない筈と思われるかもしれないが、そうではない。我々は日本にいる間、自分の国と違った外国のことを絶えず考える立場に置かれていて、似ている点よりも、まだこっちが似る所まで行っていない面にいやでも気付かせられる。これは、我々自身の日常生活の基礎をなしているものが多くは外国から入って来たものであって、その何かの形での原産地が外国であれば、どうしてもそういう外国というものを頭に描かざるを得ないからであり、例えば、舶来品を喜ぶということ一つを取って見ても、これは灘の酒を珍重するのと心理的に少しも変る所はない。
 併しその為に、我々は自分の国をいつも外国と比較して考えることになる。そしてその外国はまだ行ったことがない場所であるから、我々は聞いたり、読んだりしただけの外国に即してかなり実物とは違ったものを作り上げ、それと対照しての日本であるから、日本の印象も歪められることを免れない。つまり、我々は自分の国をただ自分が住んでいる国、或はイタリー、或はソ連に就て人から聞かされていることがあり、それは自分が住んでいる場所にまだ一度もまともに住んだことがないのと同じである。林子平が、隅田川の水はテームス河と繫っていると言ったのは、当時は国防の必要を説く上での名言だった訳であるが、その結果、少なくとも暫くの間は日本の国防が完備し、それが更に尾を引いて、我々は今日、隅田川を見てモスクワ河はこんな風ではないだろうかと考える。
 外国に行くと、外国も人間が住んでいる場所であることに掛けて、日本と別に違ってはいないことが解る。それに、例えば英国に行けば、暫くはもの珍しさにただこれが英国だと思うだけであるから、どこそこと比べたりしないで自分がいる場所を素直に眺める癖が付く。そしてその時我々は初めてそれと同じ態度を日本に対してもとって、そこに自分が今まで住んでいた場所を発見する。そして初めて行った外国でも、そこにも昔から人間が住み付いていたという理由から懐しく感じられるならば、どこに行っても自分の国であることが解る自分の国というものは、それが故郷というものでなくてはならない。愛国心のことを言う前に、我々は先ずこの素直な態度を自分の国に対して取ることが必要である。

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Posted by aozame