ザ・ベスト

2022年6月22日

 五本指ソックスが発明されてからこっち、運動するとき以外ほぼ一年中ビーチサンダル履いてます。
 ビーサンでどこへでも出没します。何千円かするブランド物を履いていたこともあるにはありましたが、結局は上っ面のデザインと素材が多少違うだけで履物としての性能に大差ないのが明白なので、ドンキやトライアル、それか浜辺の駄菓子屋で浮き袋と一緒に売ってる一番安いやつをもっぱら愛用するようになりました。300円の物で十分。2年くらいで底がツルツルになって雨の商業施設なんかでコケそうになったり、鼻緒が抜けたりすると新しいの買います。ビーサン好きですが物にはあんまり拘りありません。

 話は変わって、学生の頃西洋美術史の先生がこんなことを言ってた。
 確か家具、特に椅子のデザインについての講義だった。曰く、
「主に床に坐ってきた日本人は椅子をよく理解してないんだな、ということがヨーロッパに行くとわかります。これは言葉には上手くできませんが、向こうに行ってそこら辺の椅子に坐ってみれば皆さんにもそれが腑に落ちると思います」
 椅子に坐る習慣のなかった日本人は椅子をヴィジュアル的にしか理解していない。椅子とは坐るための物、精々、坐り心地が良ければ良い椅子、程度にしか思っていない。しかし、テーブルと違って椅子にはもっと深い哲学がある。それを作る人と坐る人の中に、生活習慣に裏打ちされた、椅子とはこういう物だという暗黙の哲学があって初めて「良い椅子」が生まれる。それがない椅子はただの腰掛けである、というのが先生の見解だった。
 ホントかいな、と思ったものである。あれから時が経って、日本人も椅子に坐るようになってしばらくなるがその後椅子の出来はいかがなものだろうか。少しは変わっただろうか。わたしはヨーロッパへは行ったことがないし、行く予定もないので確かめようもない。

 さて、話はビーチサンダルに戻る。
 ここに一足のビーチサンダルがある。数年前にカンボジアのシェムリアップで買った一品である。値段はやっぱり300円くらいだった。これはわたしが今までに履いた数あるビーサンの中でもぶっち切りの逸品である。もうズ〜っと履いている。これを最初に履いたとき少し小さいかなと思った。店のおじさんは、それくらいがあんたのサイズにはちょうどいい、と言って聞かなかった。まあ、いいやと履いている内に嘘のようにいい塩梅になってきて、ある時ふと先の西洋美術史の先生の話を思い出した。確かにこのビーサンには哲学がある(ような気がする)。流石に人々がサンダルを日常の履物として一年中使っている国だな、と履くたびに思うのである。


 

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Posted by aozame