『1999年のサーフトリップ』第3章

2022年3月30日

ヤマグチ・シティ

 今は「新山口」という名に代わった「小郡」の駅で俺は二十年ぶりに相馬和弘に会った。
 荷物はリュックがひとつだけ。中には二、三日分の着替えと薬と、初めて書いた小説の原稿が入ってた。小説は和弘に読んでもらうつもりで持って行った。まだ少し直すところがあったけど、それは油谷ですればいいやと思ってた。今思うと屑みたいな話だよ。

 どうでもいいけど、「小郡」は山口市じゃない。だから新山口も1999年時点では山口市じゃない。小郡町は誇り高き独立不羈の宿場町だったから、そう簡単には山口市に吸収されなかった。山口県吉敷郡小郡町が山口市になったのは2005年10月で、「新」じゃない方の山口は小郡からあまり人の乗らない在来線で三十分程行ったところにある。俺たちはそこで少年時代を過ごした。記憶の中の山口市は扁平で掴みどころのない殺風景な町だった。完全無欠の盆地で夏は暑く冬は寒い。温泉街で小学校のすぐそばにもストリップ小屋が何軒かあったりしたけど、小さな町だからさ、だからって別にいかがわしくもなかった。「ヌード1」とか「ヌード2」とかそんな名前でさ、名前も素朴だよね。一体どんな踊り子たちがおっぱい見せてたんだろうね。時々店の扉が開いてるとファラー・フォーセット・メジャーズのポスターがひらひら風に揺れてるのが見えたよ。
 山口には良い思い出も悪い思い出もない。給食で出たカレーと麺の柔らかいうどんが美味しかった。田んぼの脇道を元気に学校へ通う、一年中半ズボンの制服を着た小学生のなかには自分のことを「ワシ」って言う男の子が何人かいる。小学校の校庭にはバベルの塔みたいに高い滑り台があった。俺たちはその滑り台が聳える遊び場で擦り傷をつくりながらせっせと遊んだ。町外れにある刑務所のそばにあった肉屋の息子は歌が上手かった。その隣の魚屋の次男坊は泳ぎが得意でやたらと女にもてた。山側に住んでた変わった名字の友達は兄貴が障碍者で絵がひどく上手い男だった。クラスナンバー1美女の老舗旅館の娘は小学校を卒業して間もなくヤンキーになった。電電公社の向かいの映画館では「ET」と日活ロマンポルノが隣り合わせで上映してた。俺の所属していた町内のソフトボールチームはとても弱かった。対抗ソフトボール大会で必ずと言っていいほど優勝していた地区が被差別部落のチームだったということを知ったのは高校生の時だった。
 すっかり寂れた商店街の片隅のどこかには中原中也の生家があって、その傍に中也の詩みたいに淋しい風格に満ちた小さな公園がある。そこでよく遊んだ。公園の中にある石碑には、世界中のどこの町でだって故郷へふと帰り着いた旅人誰しもが風の中に耳にするかもしれないような、中也のこんな詩が友達の小林秀雄の字で刻まれてる。

 これが私の古里だ
 さやかに風も吹いている
 ああ
 おまえは何をして来たのだと
 吹き来る風が私にいふ

 そんなことしか覚えてない。

 小郡駅の外のベンチでしばらく待っていると和弘が何処からともなくふと現れた。洗いざらしのTシャツにダブダブの半ズボン。金髪の丸坊主だった。背は俺より10センチばかり低かった。痩せた体に無理矢理筋肉を付けましたって感じで、格闘家か野生動物みたいにしなやかに動いた。子供のころから気性が荒くていつも飛んだり跳ねたり動いてた。見た目はあんまり変わってないのに印象は相当に違った。目が違うんだよ。むかしはもっと細い狂暴な目をしてた。20年経ってその時は好奇心と一緒に目の中にいくらか優しさが加わってた。それだけで人の感じは変わるんやね。

「久しぶり、コウジ」と言って和弘は日焼けしたごつい手を差し出した。

 晴れてた。
 かつての長州の威光を元にジャンジャン総理大臣を輩出した王国山口であからさまに際立つのは美女の黒髪のようにきれいな道路だ。広島から、それとも福岡の下道から山口に突入するとよく分かる。ほとんど完璧に整備されたピカピカの道が県内隅々に渡って延びている。山口県は結構広いけど、県内を移動している限りストレスは比較的少ない。山口の人々はみなこの黒髪の路で東西南北相当な距離を遊びに仕事に普通に移動する。
 それほど険しくない山と田んぼと屋根が茶色くてでかい家が点々と散らばってる。狸が道の真ん中で死んでる。そんな長州の立派な田舎道を俺たちは日本海へ向けて走った。

未分類

Posted by aozame