『1999年のサーフトリップ』第5章

2022年6月27日

オーバー・ザ・レインボー

 それは平成最後の年に起った。
 井戸の中から髪の長い女の子が現れたという話ではなかったが、同じように奇妙な話だった。

 山口県長門市に「二位ノ浜」という北向きのビーチがある。五百メートルほどの白砂のビーチだ。壇ノ浦の戦いで孫の安徳天皇を抱いて海に身を投げた二位尼のどざえもんが打ち上がったことからその名がついた。長門市の観光案内によれば日本屈指の水質を誇る海水浴場である。本当にとても美しい海だ。水の中で目を開けるとワカメの間をカサゴが泳いでいるのが見える。ゴーグルなんて要らない。しかし、キャプテン・メモハブとその仲間たちが二位ノ浜を好むのは別に水がきれいだからではなかった。
 二位ノ浜のビーチブレイクはサイコーだ、とキャプテン・メモハブは言う。
「なんてったって表情が豊かだよ。色々な波を見せてくれる。実際、二位ノ浜は女の顔に見えるからイヤだって言って二度と来なかった奴もいたよ。ほとんど「ヤバい」と「波乗りサイコ~」しか言わない面白い奴なんだけどさ。まあ、北向きのポイントはあそこだけじゃないしね」
 もう一つの理由は人が少ないこと。二位ノ浜へ行くには急斜面をグルグルと登り、そしてまたグルグルと下らなければならない。下った先にポツネンと二位ノ浜はある。そこはいくら美しい場所だったとしても、いや、美しいからこそ、とても来るものを歓迎しているようには見えない。だから海水浴シーズンを除けば来る者も少ない。二位ノ浜が女の顔に見えたとしても「綾瀬はるか」の顔ではないはずだった。「原節子」とか「梶芽衣子」とか、機嫌がいい時なら「岩下志麻」にも見えるかもしれない。
 二位ノ浜へ続く坂道はあまりにも急なので、金の無いサーファーのポンコツ車は時としてその急斜面を登れないこともある。あるサーファーの車は、果たして坂の中腹で停まってそれ以上断固として登攀を拒否した。一計を案じた男は車を180度回転させ、バックギアに入れて無理矢理その坂をメイクした。
「そこまでして行くほどの波じゃその日はなかったけどね」とキャプテン・メモハブは言う。「だけどさ、そんなバカげた車ごとソウルフルなそいつも、そんなご機嫌なエピソードを生みだす二位ノ浜も俺はどうしても好きやね」

 さて、その日二位ノ浜に虹が出たんだそうだ。とんでもない虹が出たんだそうだ。以下はキャプテン・メモハブのブログに譲ることにする。
(※多少文章を変更して省略してます。完全版をご所望の方がいればこちらから。下の方にあります。)

「俺は友人AとB三人でサーフィンをしていた。
 波はたいしたことなかった。一時間ぐらい三人交互に波に乗っていた。
 ふと空を見上げると、今まで見たことないような強烈な色彩の虹が立ち上がり始めた。 最初は一部だけ、それからあっという間に水平線上に完全な半円が大きく大きくかかっていた。あり得ないぐらいに色が濃かったのは、そんな虹の左端のふもとの部分だった。テレビ画面の色彩ぐらいはっきりしていた。自分自身が発光している。まるでネオンサインのようだった。

「あ”~!!!!!!」「なんじゃこれ~!!!!!????」「こんなん見たことねーわ!!」「うっわあ!!!!まっじで!!!!なっにこれっ!!!!」

 十回以上絶叫してしまった。友人二人も同じように驚いていた。俺はこの虹をカメラにおさめるべく時速五〇キロパドルで岸まで戻り、車へ走った。iPhone6を取り出し、興奮状態のまま写真数枚と動画を撮影した。その時はまだ、俺は自分のこの行動を後に死ぬほど後悔することになるとは知る由もなかった。
 残念なことに、海から見えたはずの強烈な光は撮影する瞬間には弱くなってしまっていた。写真の中の虹は「すごいきれいな虹ですね」と言われるようなレベルに落ちしまっており、俺が海から見たものではすでになかった。まあそれはいい。仕方ない。人生そんなものだ、と俺は自分を慰めた。事件が起こったのはその後である。

 寒くなっていたので俺は服に着替えて車から二人のサーフィンを見ていた。
 十分ぐらいしてBが上がってきた。表情がなんだか固い。Bは先ず俺に、虹の写真が撮れたかどうかを訊いた。虹は撮れたけど海で見た異常に強い光は間に合わず撮影できなかったと伝えると、Bは、
「虹はいいけど、なんか他の物写ってなかった?」と言うのである。
 なんのことやら理解しかねている俺に彼は珍しく真剣な表情でこう説明してくれた。

 俺が海から上がってから一分経ったぐらいだろうか、強力な光を放つ虹のたもとから無数の飛行物体が次々に現れたのだという。 最初にそれに気づいたのはAだった。AはすぐにそのことをBに伝えたが、その時点では近眼のBの目には何も見えなかった。Aによると、虹から出てきた物体はそれぞれに五十機ほどの二つのグループに分かれ、合計百機の大編隊になった。Aはあまりにも異様な光景を信じられない気持でただただ見つめていたらしい。やがてそれは近眼のBにもわかるほどの規模になった。最初は鳥なのかなとも思ったそうだ。しかし、スピードと大きさから鳥というのはあり得ないという結論になった。距離感から想像すると、大きさは小さい物で自動車ぐらい。大きいもので百メートルといったところだ、と二人は言う。色はと言えば、夜空に光る星の中で一番大きい星をもっと大きくしたようなイメージとも、太陽の光のような、黄色をどんどん明るく眩しくしたような感じだとも言っていた。
 もうお分かりだと思うが、AもBも、それは紛れもなくUFOだと思った。Aいわく、UFOは時々形を変えているように見えた。大きくなったり小さくなったりもしていた。水平方向にすうっと高速で数キロぐらい移動したものもあるし、上下動、左右の動きなどそれぞれの一機ずつの個体が別々の動きをしていた。山の方へ消えて行くように見えたり、戻ってきたように見えたりした。海から上がった時に「無事でよかった・・・」と感じたらしいが、恐怖感はそれほどなかったと二人は言う。距離が数キロぐらいは離れてる感じだったし、自分たちに向かって来るような印象はなかったからだということだった。
 冗談を言いながらも動揺していたBが、車に戻って眼鏡をかけ、もっとはっきり見ようと俺のところに戻ってきた時にはそれはもう跡形もなくなっていた。さらに五分後、続いて上がってきたAと共に、随分光が弱くなったがまだ空に残っている虹を三人で穴のあくほど凝視したが、そこにはただのキレイな虹があるだけだった。

 俺はその場でさらに二人にインタビューを試みた。二人とも俺のしつこい質問にいちいち真剣に答えてくれた。いつも人のことを茶化したりふざけていていい加減なキャラのBも、硬い表情で不安げな表情だった。いつもニコニコなAも険しい顔に、「まんまる」と大きく目を見開いた驚愕の表情を貼り付けたままだった。それは、事態がどれだけ常軌を逸したものだったかを物語っていた。全く関係はないとは思うがAはその夜インフルエンザを発症して、高熱で寝込んでしまった。」

 以上がその日二位ノ浜で起こった出来事である。
 この後キャプテン・メモハブは何人かの人々にこの出来事を話し、彼らの見解を訊いた上でいくつか自分なりの意見を述べているが、もちろん結論には達していない。その日の夜すぐにネット上でありとあらゆるUFO目撃談かそれに類する話がアップされていないか調べたが、「長門市に関する情報どころか、全国レベルでもその日その手の目撃談は無かった」ということだった。
 俺は思うのだが、それはUFOの話であり、UFOの話ではなかったのではないだろうか。その晩キャプテン・メモハブがUFOの話じゃない方の話をググっていたなら、あるいはなんらかの答えがiphone6に引っかかったんじゃないのか。いつか観た映画のように老人ホームの年寄りがブレイクダンスを踊り出した、とか。「クララが立った」とか。仲の悪い夫婦が突然分かり合えたとか。そんな奇跡がその日起こっていたのかもしれない、なんて思うのである。仮にそれが令和元年ではなくて、キャプテン・メモハブと三人の仲間たちが西暦元年のベツレヘムの羊飼いサーファーだったとしたら、彼らはその日世界を救う救世主サーファーが誕生したことを知ったことだろうと、そうも思うのである。それは「UFO」や「飛行物体」と同時に「奇跡」なんていうハッシュタグでググられるべき出来事じゃなかったのか。「始まり」?それとも「多様性」?
 このような変梃な出来事を保存する方法を発明する必要がある。映像ではなくそのエネルギーを保存するのだ。エネルギーの保存ができたとしてもそれを理解できるとは限らないけれど。

 その二十年前の1999年に俺がキャプテン・メモハブや数人のサーファー仲間と初めて二位ノ浜へ行った時、確かそこはまだトイレといい加減な駐車場があるきりのやる気のない海水浴場だった。昼下がり、サーファーたちは他愛ない会話を交わし、儀式のようにボードにワックスをゴリゴリと塗る。俺には意味の分からない言葉で話しながら海を何度か指さした。何やら複雑な握手をした後黒づくめの男たちは海へ散らばって行った。連中はなかなか戻って来なかった。ダットサン720に残された俺は暇つぶしに持って行った本を読んでしまうと小便くらいしかすることがなくなった。海とサーファーを見ているしかなかった。波と風の音、鳥の鳴き声だけが聴こえた。初夏のビーチが暮れなずむ頃に連中はやっと海から上がってきた。かるく五時間は経っていた。そんなに長い時間海を見ていたのは初めてだった。ほとんど半日間飲まず食わずで波に揉まれたあげく、
「ショルダーはってぶあついリップがおちてきたとこにエグいかくどでテールぶちぬいた。かえしのはやさはヤバかったけどノーズがささってヤられた!」「アウトのなみはトリプルぐらいあってドロップがおもろいけどひらきぎみでタルくなってカットバックでつないだらミドルのサンドバーからホれてリップなんぱつでもイケるし、インサイドのセクションはいきなりダブルアップしてあさくてすなまきあげてすげ~あぶないけどバレルがねらえる」などと呪文のような言葉を際限なく繰り出す黒づくめの男たちは、遥か宇宙と交信中の地球防衛隊のように見えなくもなかった。その日のことを思い出すと、二位ノ浜は確かに女の顔をしていたような気もするし、そうでもないような気もするのである。

 ところでUFOなら俺も見たことがある。海辺の町の高校生だった。家をこっそり抜け出して、今では父親のコネで入った何処か大きな会社で偉くなっているはずの友人と真新しい埋立地の堤防で夜釣りをしていた時のことだった。奇妙な光が二つ、水平線の彼方で上下左右に踊るのが見えた。
「あれは何だ?UFOじゃないのか?」と俺は友達に何度か言ったがそいつには見えていないようだった。俺は光をずっと見ていた。なんだか一度も生まれてこなかったような儚い気分になった。そのまま夜は更けていった。ハゼが三匹釣れた。
 何年も経ってから東京で偶然会った時、ルノアールでコーヒーを啜りながらいきなりいつかのUFOの話をそいつが始めたので俺はかなり面食らった。実はあの時自分もUFOを見たのだとそいつは言うのである。なぜ今更そんなことを言い出すのか?なぜあの時嘘をついたのか?俺には宇宙的に意味が分らなかった。奴の顔が次第に友達でもなんでもない他の連中と区別がつかないほど平凡に見えてきたので言ってやった。
「本当はお前が宇宙人なんじゃないのか?」
 もちろん奴はこう言ったのだった。
「そりゃあ俺は宇宙人だよ」

おまけの虹。2011年秋の福島県南相馬市で撮った虹です。

TS3I0052

『1999年のサーフトリップ』第6章

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Posted by aozame