橋本治著『助けて』に添えて

「泣きながら一気に読みました」って云うコピーで大ヒットした本がむかしあった。調べてみると出版されたのは2001年だった。20年前だ。小説を読んで泣いたことなんてなかったから、「泣きながら一気に読む」なんてただ事じゃないなと思ったものだ。映像も効果音もない活字だけ読んで泣けてくるなんて大した想像力だ。とても及ばない。何が?何かが及ばない。自分に必要な何事かを求める少女たちのエネルギーにはとても及ばない。当の小説は読んでない。恋愛小説は読まない。
「泣きながら一気に読む」ような小説が優れているとは思わない。それでもこの20年の間には、はらはらと涙のこぼれた小説がわたしにもどうやらあった。3冊だけあった。

 一つ、カート・ヴォネガットの『タイタンの妖女』
 えげつない悪ふざけのような展開の果てに辿り着くラストシーンの宇宙的優しさに泣けた。
 二つ、ティム・オブライエンの『本当の戦争の話をしよう』
 1968年生まれのこの人はベトナム戦争従軍兵で、強迫観念のようになんらかの形でベトナム戦争をテーマにした小説だけを書き続けている作家である。作品の中にノーマン・バウカーと云うベトナム帰還兵が出てくる。ノーマン・バウカーは生還したものの大きな湖のある故郷の小さな町でブラブラしている。当てもなくベトナムのことやらその町で高校生だった時のことやらを思い出しながら車で湖をグルグル回りながら1日を過ごしている。日に10回も20回も湖を周回して1日を過ごす。ノーマン・バウカーは帰還して小説家になった主人公に手紙でこう云う。
「問題は何処にも行き場所がないことなんだ。このろくでもない町の中で、というだけじゃない。もっと広い意味でだ。俺の人生そのものにだ。なんだか自分がナムで殺されちゃったんじゃなかっていう気がするんだ…うまく説明できないけれど。ー。もし俺にものが書けるのなら、俺は自分で書いてみると思う。でも俺には言葉をみつけることができない。それに俺には、自分が何を言いたいのか、それがわからないんだ。あの夜の、あの野原についての何かだ。カイオワが汚物の中に沈んで消えていった様子についてだ。ティム、お前はそこにいた。お前ならそれを語ることができる」
 それから間も無くしてノーマン・バウカーはYMCAで首を吊って死ぬ。「遺書もなければ、短い書き置きのようなものもなかった」
 ノーマン・バウカーの死に様が淋し過ぎて泣けた。
 三つ目がこの橋本治の『助けて』
『助けて』がおさめられた短編集『初夏の色』の出版は2018年。収録された6編すべて大震災にまつわる話で、巻頭がこの作品。主人公の二人は東京で被災する何処にでもいそうな若いカップル。でも、実際はこんな連中は何処にもいないかもな、と思われるような二人が東京と云う場所で被災し、震源地である東北を如何に思い如何に行動したか、そんな短い物語だ。それが泣けた。なんでかなぁ…。

 10年が経った。いま震災について語られた物語は一体どれくらいあるんだろう。つまびらかにできないが決して多過ぎると云うことはないだろう。もっと、もっと、もっとあっていいと思う。作家連中が金にならん文章は書けん、駄作は発表できん、なんてケチくさいこと云うなら誰が書いたっていい。どうせ本なんて今誰も買わん。求められているのは創作能力でなく、中途半端ではあれ、虚々実々であれ、あるいは倫理に反して居ても、真実を帯びた言葉に方向を与える編集能力じゃなかろうか。
 わたしも10年前に被災地にボランティアに行った。都合ふた月ほど東北に居た。
 まだヘドロだの瓦礫だのの片付けが主な作業だった時期でただひたすら体を動かしていたから、わたし個人的には被災者の方々と交流する機会はそんなになかった。微かに聞こえてくる彼らの言葉は「遠くから来てくれるだけでありがとう」と云うのが精一杯だった。それに嘘はないだろう。でも、それじゃあ全然足りないだろう。それだけじゃあないだろう。もっともっと色々な思いが語られずにいるだろう。圧倒的に「言葉」が足りない。圧倒的に「言葉」が足りない。それは被災者だけじゃない。ボランティアに携わった人間だってそうだ。電波に乗って「いい人」みたいに喉越し良く語られる言葉だけじゃ足りないのだ。
 ボランティアにも実に様々な人間が居た。
 旦那に愛想をつかせてボランティアの宿泊施設に逃げて来た埼玉の主婦。
 婚活を兼ねたフリーライター。
 ビール腹を引っ込めるダイエットを兼ねたアメリカ人のモデル。
 わたしだってわざわざ九州から東北くんだりまで出かけて行った理由を一口には説明できない。小学生の頃仙台に住んで居たから?友達の家族が被災したから?単に暇があったから?それとも物見遊山?その全部が理由でしかもそれだけではない。
 被災地のそこらで悪臭を漂わせるヘドロを掃除しながら、「このヘドロで絵を描いたらメッセージになるかもしれない」なんてことを面白半分に云ったら、仲間の一人に「被災者たちにはこれは忌まわしいだけの代物だからメッセージは彼らには届かないかもよ」とたしなめられたことがあった。そんな当たり前の良識ある人たちも勿論たくさん居た。決して群れようとしない明らかに柄の悪い連中はヘドロとガラクタを掃除するとあっという間に去って行った。

 先に挙げた『本当の戦争の話をしよう』の中でオブライエンは「本当の戦争の話というのは」何かを繰り返し云う。
「本当の戦争の話というのは」ー 

 全然教訓的ではない。それは人間の徳性を良い方向に導かないし、高めもしない。もし教訓的に思える戦争の話があったら、それは信じない方がいい。
 とくに本当の戦争の話をするとき、そこで実際に起こったことと、そこで起こったように見えることを区別するのはむずかしい。起こったように見えたことがだんだん現実の重みを身につけ、現実のこととして語られることを要求するようになる。
 多くの場合、本当の戦争の話というものは信じてもらえっこない。すんなりと信じられるような話を聞いたら、眉に唾をつけたほうがいい。真実というのはそういうものなのだ。往々にして馬鹿みたいな話が真実であり、まともな話が嘘である。
 ある場合には君は本当の戦争の話を口にすることさえできない、それは時としてあらゆる言葉を超えたものであるからだ。
 本当の戦争の話というものはいつまでたってもきちんと終わりそうにないものだ。そのときも終わらないし、そのあとでもずっと終わらない。
 戦争は地獄だ。でもそれは物事の半分も表してはいない。何故なら戦争というものは同時に謎であり恐怖であり冒険であり勇気であり発見であり聖なることであり憐れみであり絶望であり憧れであり愛であるからだ。戦争は汚らしいことであり、戦争は喜びである。戦争はスリリングであり、戦争はうんざりするほど骨の折れることである。戦争は君を大人に変え、戦争は君を死者に変える。
 
 結局のところ、言うまでもないことだが、本当の戦争の話というのは戦争についての話ではない。絶対に。それは太陽の光についての話である。それは君がこれからその河を渡って山岳部に向かい、そこでゾッとするようなことをしなくてはならないという朝の、河の水面に朝日が照り映える特別な様子についての話である。それは愛と記憶についての話である。それは悲しみについての話である。それは手紙の返事を寄越さないない妹についての話であり、何に対してもきちんと耳を傾けて聴こうとしない人々についての話である。

 この「戦争」の部分は必ずしも戦争じゃなくたっていいだろう。

 橋本治の『助けて』がどうしても感動的だったのは、どうしてもわたしではない主人公たちがやはりわたし自身に思えたからだ。きっと、被災地や被災者たちへと伸びる一本の道があって、その道のどこかに確かにわたしたちはいる。この短い話はそう思わせてくれる。

TS3I0052

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Posted by aozame