時空を超えて

2022年6月22日

 同年代の職場のオバサンは映画鑑賞が趣味で、休み時間に一緒になると頼みもしないのに最近観た映画の話を延々としれくれる。この間は『屍人荘の殺人』でその前は『ターミネーター ニューフェイト』の話だった。『屍人荘』はいまいち。『ターミネーター』は期待し過ぎたのがアダとなって星三つだったそうだ。星幾つがマックスなのかは知らないけれど。ちなみに2019年の最高傑作は『キングダム』とのことである。「今年はなんて云っても『トップガン』が楽しみだよね」なんて目を輝かせるから「今更『トップガン』の続きなんか観たくねぇよ」と冷たく云ってやったら「そんなぁ、カドクラちゃん、『ターミネーター』も『トップガン』も我々の青春じゃん」とヘラヘラ笑いながら云って充実野菜をチューチュー音をたてて吸っておられた。
 確かにどちらも我々の青春時代を代表する映画に違いない。しかし『トップガン』の続編なんてこの令和の世で一体どういう話にしたら面白くなるんか理解に苦しむ。いや、ひょっとしてそれこそがこの映画の見どころなのかもしれない。そんなことあるだろうか。『ターミネーター』の方はまだ観て観たい気がするな。思えばやはり『ターミネーター』は面白い映画だった。子供ながらにストーリーに無理があるのがわかったが、未来の要人を暗殺する為に過去にアンドロイドを送りこむなんて、それがシュワルツェネッガーの姿形をしているなんて充分怖かった。ターミネーターがプレス機で潰れるラストも音楽もカッコよかった。佃煮にするほどある人間対ロボット、機械、人工知能というテーマのB級映画の中でも最高傑作と云っていいと思う。新作にはシュワルツェネッガーもサラ・コナーも出てくるらしい。アンドロイドも年をとるんだろうか。しかしながら人間対テクノロジーというテーマは現代にあっては、お互いを兵器で殺傷すると云った牧歌的なものではなく、もっとソフィスティケートされた現在進行形の戦い、あるいは進化一過程であるかもしれない。『時空を超えて』でのモーガン・フリーマンのセリフだ。
「時空を超えて」というのはご存じの方もおられると思うが、何年か前にNHKでシリーズ放送していたアメリカのディスカバリーチャンネルの科学ドキュメンタリーシリーズである。オリジナルは2010年に始まって2017年にシーズン8を数えて終了している。「死後の世界はあるのか」「宇宙は永遠に続くのか」「時間は存在するのか」、そんなテーマをその道の権威や新進気鋭の科学者物理学者たちが分かりやすく解説してくれる。「分かりやすく」といっても僕などには分からない部分も多々あった。
「デジタル技術は世界を滅ぼすか?」というのがその時のタイトルだった。軍事、医療、経済などを高速のデジタルコミュニケーションに依存してしまった現代社会においては少数のテロリストの手によって世界のパワーバランスを変えられかねない。まずは世界のコンピューターネットワークを支えているのは正確な共通の「時間」であるという。すべての端末が同じ時間を共有していない限り航空管制も株の取引もできない。発電所、病院、石油の生産に至るまですべてのインフラがこの「正確な時間」をもとに動いていて、この「正確な時間」を管理している研究所がアメリカにあるらしい。悪意のあるハッカーにこの「時間」を乗っ取られたとしたら…。話は「生体認証技術の不完全性」「コンピューターウィルス」「完璧な暗号」「ネット依存」と進んでいく。それで、将来的には「コンピューターが意思を持ち、人間を取り込んでいく(かも)」と云って番組は終わる。「ネット依存」から先がとりわけ僕には面白く思えた。
 社会に対する攻撃が、静かに誰も気づかないうちにすでに進んでいるとしたら。というのだ。
 イギリスの研究者によると、インターネットはある種の薬物と同じで、脳内を書き換えてしまう力を持つ。インターネットは人間一人ひとりを孤立させるために作られた技術で、社会構造を造り変えようとするなら最適な手段である。インターネットには明白な中毒性があり、使えないと抑鬱状態にする。心拍数や血圧を上昇させて人間の体を闘争状態興奮状態におく。そして人々はもはやデジタルなしでは生きてはゆけないのである。「社会システムにはバックアップは無い。もし失敗すればすべてを失うことになるが、それでも人間はデジタルを選択したようです」と彼は云う。人類を被験者にした巨大な実験が始まっている、と。
 そしてインターネットが「意識」を持ったとしたら。その新たな生命体は過去の生物史に慣って自分より小さな生命体、つまり人間を取り込んで、より大きな生命体へと進化してゆくかもしれない。かつて独立した生命体だったが今や生物の細胞内に吸収されて発電装置のような存在に甘んじているミトコンドリアのようなものに人間もなるかもしれない。コンピューターが自らの修理以外に人間に求めるものは何か?人間のエネルギー?それとも、コンピューターが持ち得ない「魂」と呼ばれるもの?
「魂」など必要とされるはずはない。とある科学者は云う。そんなものなくてもアルゴリズムとソフトがあればコンピューターは上手く機能するのだから。しかしながら、とモーガンは最後に云う。「人間だけが経験しうる感情はコンピューターが思いつかない視点から世界を理解するのに役立つはずです。そこに鍵がるかもしれません。鉄は銃と大砲を生み出した。今情報テクノロジーが新たな武器を生み出しています。情報は鉄のように地中から採掘される資源ではなく、私たちの心の中にある資源です。だとすれば、現代において私たちの運命を握るスーパーパワーと呼べるようなものはただ一つ。「想像力」です」
 
 前半については「ヘェ~」と口開けて観ていただけで、自給自足する知恵と体力つけとかんとな、という以外の感想はない。。後半はについてはいくつか疑問のような感想や妄想が湧く。
 ここでインターネットが意識を持つと云うのは、コンピューターが自分を認識すると云う意味らしい。そこに高い知能が加わるとそれが人間を取り込んでゆく(かもしれない)。攻撃すると云うのではなく「取り込む」。映画『マトリックス』の世界みたいに。「意識」が何かについは今もわかっていないし、ミトコンドリアがより大きな細胞に吸収された時それらに「意識」があったわけでもなさそうだから、コンピューターが人間を取り込む時に、と同時に生物の進化に「意識」が必要だとは思えない。というかこの場合自分を認識してるからって生命体なんだろうか。「意識」があるからと云って生物ではないだろうし、生物だからといって「意識」があるわけでもない。意識がある無生物であるのがコンピューターが「新たな生命体」と呼ばれる所以ということだろうか。どこで読んだか忘れてしまったが、誰かがこんなことを云っていたのを思い出した。「確かに人間はあまりにも短気に過ぎるかもしれないが、岩石だってあまりにも無感動に過ぎると云えるのではないだろうか」。僕のイメージする「意識ある無生物」の主体は、どちらかというとこの無感動な岩石とか鉱物のような感じである。映画『2001年宇宙の旅』に出てくるモノリスがもう少し親しみやすくなった感じ。だとするとその「新たな生命体」がこの世界と自分たちに望むものは何か?それはおそらく世界の覇者になろうなんてことじゃなくて、ただ単にアルゴリズムとソフトでもって永遠に自らをアップデイトし続けるということだろう。別にどこかの目標に向かって進むわけでもないだろう。すべての生命と同じように。だから、「時空を超えて」や数あるSF映画で語られているような人間対機械と云うような対立構造が現れるとは僕には思えない。「新たな生命体」コンピューターズとしては「ネット依存」の章で語られていたように、すでに開始されている程度に人間を「取り込んで」骨抜きにすれば充分なんで、何もマトリックスのような悪魔的な手の込んだ仕掛けを施す必要はないんじゃなかろうか。人間はテクノロジーの恩恵を受ける。その代わりにコンピューターに情報を与えメンテナンスに励む。その中には「魂」についての情報もきっとあるに違いない。なぜなら「魂」という発想には永遠というものの謎を解く鍵が含まれているだろうから。その持ちつ持たれつの蜜月が何百年も何千年も続いたとしたら、半永久的に衰えない素材なんかが発明されて自立したコンピューターズの修理からもあらゆる労働からも本当に人間は解放されるかもしれない。われわれはかつてのギリシア人みたいに学問と詩作に耽るかもしれないし、ただ遊び呆けるかもしれない。そしていまある色々な能力を投げ出し、生物種としての人間の生命力は退化する。人口も減る。医療技術が発達し、体のあらゆる部位を人工物に取り替えながら気の遠くなるような長い時間を生きる。人々の肉体的な差異がなくなるからスポーツ競技もなくなる。知能もボリュームつまみで上げたり下げたり自由自在だからとりわけ頭が良い人間もいない。あらゆる意味で格差がなくなる。そんな腑抜けた極楽で人間の価値を測るものって一体なんだろうか?モーガンの意図とは違うだろうけど、なるほど、彼の云う通り「想像力」イマジネーションかもしれない。
 そんなわけで、イマジネーションの羽を精一杯開いて今年は34年ぶりの『トップガン』に臨んでみるのも面白いかもしれないな。
 

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Posted by aozame