『1999年のサーフトリップ』第1章

<土佐清水の鯛めし> 

 松山港に着いたのはもう真夜中だったよ。街燈もあんまりないから暗くて街の印象はまったくない。ダットサン720は南へ向けて、オービス少し気にしながらひたすら走った。明け方の4時頃田んぼの脇の空地にテント張ってその日は寝た。たぶん高知県土佐清水市のどこか。何時だったか覚えてないけどモソモソ起きて近くの乾物から駄菓子まで何でも売ってる商店で食料の買い出しをした。もう昼過ぎだったんじゃないかな。キャベツとか人参とかとにかく日持ちのする野菜類を買った。あんなデカくて堅ったいキャベツ俺見たことなかったよ。あとタンパク源として卵。それからサーフィンのポイントへ行った。

 足摺岬の近くに「大岐の浜」というポイントがある。そこが俺が初めてサーフィンした場所。四国のビーチは砂が黒いからぱっと見重苦しい。でも水は澄んでて綺麗な海だった。天気も良くて波もあった。四国のポイントはローカルに混じって関西サーファーが入ってることが多いんだけど、流石に大岐の浜までは遠くて来ないようで、人も少なくて初心者には理想のビーチだったよ。でも、俺はまるでダメダメやったね。まったくお話にならなかった。キャプテン・メモハブの弟子の中では俺は最低レベルに入るやろう。センスも体力も根性もやる気も無い。下手に波もあるもんやから波に押し戻され押し戻されしとる内にすぐにヘバる。デビュー1ラウンド目は20分で終了。もう散々。それで「クソっ!」ってなるくらいやったらまだ脈もあろうかってもんやけど、俺にはそんなガッツはなかったな。何はともあれ海は気持ちが良かった。たった20分波に揉まれただけで、一服したタバコはひどく美味かった。

 そうそう、最初の頃俺はウェットスーツ着たまま小便ができなくてさ、「海ん中でしろよ」って師匠の言葉を他所にいちいち浜に上がってきてやってた。ウェット着たままするのは抵抗あったよね。すぐに慣れた。サーファーってさ海ん中でウェット着たまま小便するんだよ、知っとった?

 大岐の浜にいた間の出来事で覚えとるのは、そうだな、足摺岬に行ったな。四国最南端の岬ってだけのことはあったよ。海の向こうはもうアメリカだなんて考えるまでもなくなんだか自分が端っこにいるんだってここは思わせる。どこか「果て」感がある。「岬」って名称がついてるからってどこでもこんな雰囲気があるわけじゃない。こんな気分になったのはそれまででは、石川県の能登半島の先っぽの友達の実家に遊びに行った時しかない。房総辺りじゃこんな端っこ感はとても出せない。

 近くの漁港で釣りをしたことも良く覚えてる。餌はそこらの岩場で毟り取ってきた貝とか牡蠣とか。魚影が濃かった。魚ウジャウジャおったよ。小さな鯛。いや、あれって鯛なんかな。あれが大きくなったら鯛になるって確信はないんだけど、ともかく鯛のような形をした小さな魚が二匹釣れた。釣ったのはキャプテン・メモハブだった。これからの道のりで何度か釣りをする。釣れるのは決まってキャプテン・メモハブの方で、この旅の間中俺は一匹の魚も釣ることできんかった。上手い下手以前に俺には、何が何でも釣ってやるっていう意志が欠けてるからだ、とキャプテン・メモハブは言う。どうせ釣れるわけないと思ってるから釣れない。それはたぶん正しい。これも高知のどこかでのことだけど、一度なんてさ、橋の上から釣ってて俺の竿にセイゴがやっと掛かった。「おおっ!」って二人で驚いてる内に橋の上に上げる直前でバラしちまった。「釣れん釣れんっていう思いがそこまでして魚をバラすんよ」と言ってキャプテン・メモハブは笑ってたな。何でもそうかもね。「自分が一流になれないかもしれないと思っている人間は決して一流にはなれない」そう誰かが言ってた。だけどさ、鼻水垂らした小学生の「一流になったからって何だって言うんですか?」ってラジカルにしなやかな質問に、「だって一流になったら周りがチヤホヤしてくれるぜ」って他のまともな答えが返せる大人も反氷河主義者とおなじくらい少ない。ちなみにそん時もキャプテン・メモハブは、すっかり諦めて昼寝してた俺を尻目に二時間くらい粘ってセイゴを二匹上げた。それは四万十川の河原でさばいて昼飯に刺身で食べた。ビール飲みながら。

 最初に釣りをした所に話を戻す。

 大岐の浜の近くの漁港で釣りをしてたんだよ。俺たちはさ、港の内側でボロっちい竿二本垂れてチマチマやってた。そしたらさ、しばらくしてから、ツナギの作業着着た坊主頭のおっさんが長ッがい竿に発光装置付きの大っきな赤い浮きブラ下げてやって来た。俺たちのすぐそばで堤防の外側に向かって竿をブンブン振ってる。それ見て「すごい竿やね、何が釣れるんやろうね」なんて俺たち二人で話てた。咥えタバコをして、まるで波が寄せては返す理由そのものみたいな目で海見つめてさ、本物の釣り人って雰囲気があったよ。昼下がり、釣りしてんのは俺たちとそのおっさんだけ。なかなか釣れんかった。魚はおる。だけど釣れない。昼なんて魚釣れないんだよ。ホントはさ。俺らはそれなりに釣りに没頭してて、おっさんの存在なんて忘れてた頃にそのおっさんが話しかけてきた。

「兄ちゃんたち釣れるか?」

「いや、釣れませんねぇ。魚はおるんですけどねぇ」

「俺は釣りなんかすんの初めてなんだけどさ」とおっさんは言った、「なかなか釣れないもんだね」

 おっさん地元の人じゃなかった。本物の釣り師じゃなかった。

「兄ちゃんたちは地元?」

「違います。山口から来たんですよ」

「山口!?何で?」

「サーフィンしに来たんですよ」

「サーフィン?ああ、あれか。俺の息子もさあれ何だっけ?サーフィンじゃなくてボディってやつ」

「ボディーボードですか?」

「そう、それ。それやってた」

 それからそのおっさんは訊きもしないのに自分の身の上話を始める。

 おっさん埼玉の熊谷の人でさ。その日は高知県土佐清水市まではるばるやって来た。車で。今考えると長距離トラックの運転手だったのかもしれない。なんでも、「ボディ」を嗜む息子が白血病を患って、高知県のそこら辺りの病院に入院しているらしかった。病院にずっといても何だか手持ち無沙汰で辛気臭いから、じゃあ釣りでもということになった。あんなとこ他にパチンコくらいしかすることないからね。竿は病院の人が貸してくれたんだってさ。

 何だってわざわざ土佐清水なのか?それがどういうことなのか俺には分からん。医療環境なら東京埼玉の方が整ってるんじゃなかろうか。入院費用の問題だろうか。田舎の病院は安いとか。息子は高知の人と結婚したとか。土佐清水に白血病の権威がいるとか。ホスピスがあるとか。

「あいつもずいぶん女泣かしたからなぁ。バチが当たったんだよ」とおっさんは言った。

「息子さんお幾つなんですか?」

「二十三」

「そ、そうなんですか」俺たちは言って、なんとなくシミジミとおっさんと別れた。

 その日の晩飯は鯛めしだった。一体茶碗の中のご飯のどこに鯛がいるのか分からなかったけど。潮の香りは確かにした。その時にはもうおっさんと白血病の息子のことはすっかり忘れてたね。夜中から雨が降り出した。俺たち浜辺にテント張って寝てたんだけどさ、雨水がテントの中まで入ってきた。仕方ないから二人で車ん中で縮こまって眠った。ああそうか、そういえば雨が降るってこともあるんだなと当たり前のことを思った。海に降る雨ってのはなんだか淋しいもんだよ。

<キャプテン・メモハブ>からの返事

 年に二度見る夢の中で俺はとんでもなく魚がたくさんいる港で興奮しながら釣りをする。それがどこの港だかいまわかった。ありがとう。

 ところで、サーファーの小便についての件だけど、これはどうかな。俺は1ラウンド5時間とか8時間とか海におるからそのままするけどハマチャドは毎回岸にあがってするよ。そう言えば小便についてなんて仲間と話し合ったことなんてないな。どうも、「サーファー」一般の話とは言えない気がするよ。

『1999年のサーフトリップ』の扉

『1999年のサーフトリップ』第2章

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Posted by aozame