「アルジャーノンに花束を」チャーリーより

人の痛みを理解するって難しいです。
「痛み」って実に個人的な物ですからね。
「当たりめェじゃねェか」と寅さんなら云うだろう。
「早ェ話が、俺が芋食ってテ前ぇのケツから屁が出るか?」

いやぁ、ここ数日歯が痛くてですね。「痛み」のこと以外何も考えられない。歯の痛みっつっても色々あるんでしょうがね。わたしの親知らずはね、激痛じゃないんですな。激痛だとね、ほんと「痛み」のことすら考えられないんですけどね。ずぅ〜っとジワジワ痛い。食べる時も寝る時も。その内自分が純粋な「痛み」その物になった気さえしてくる。人格なんかない。儚いと云うか腹立たしいと云うかなんと云うか不思議な感じ。大したこと考えないんだけど、こいつはきっとこの瞬間しか思いつかんなと云うような、しかも「痛み」にまつわることだけが脈絡なく浮かんでは消えていく。

ブッダやらジーザスやらは歯が痛いときはどんなこと考えてたんだろう。
女子たちが月に一度見舞われるのはこんな感じの痛みだろうか。だとしたら大変やなぁ、敵わんなぁ。
頭痛とかなったことないけどこんな感じかなぁ。
そう云えばメニエルの発作で仕事休んでる遠藤くんどうしてるかなぁ。遠藤くん元気な時もなんか陰があるのは病気持ってるからかなぁ。
英語には「痛み」を表す単語が「pain」「ach」「sore」「hurt」とかやたらとあるけど何でだろう。そう云うのってパーソナリティーに何か影響与えてそうやなぁ。
漢字にはないんかぁ。知らんだけで痛みを表す漢字ってもっと沢山ありそうだよなぁ。だって中国人って酒を満たした盃と空の盃にそれぞれ別の漢字使ったりするもんなぁ。
東北でまた地震かぁ…。「東北でまた地震かぁ…」としか云いようがないなぁ。
しかし痛いなぁ。なんなんだよこの痛いってのはさ。

なんてことをマルキョーの駐車場に駐めた車で嫁さんを待ちながらツラツラ考えてた。すると、『アルジャーノンに花束を』と云う言葉が電撃的に頭に浮かんだ。

優しい心を持つ知的障害者チャーリーは、自ら望んで新たに開発された脳手術の臨床試験被験者となる。知能を劇的に向上させる手術である。手術は成功し、チャーリーの知能はみるみる上がり、68だったIQは185まで伸びる。その過程でチャーリーは様々なことを学ぶ。良いことだけではない。残酷な事実も知ることになる。そして、その人的知能向上研究に欠陥があることが判明する。急激に発達した知能に精神が付いて行けず、一旦向上した知能はやがて退行に転じてしまうのだ。「アルジャーノン」とはチャーリーに先んじて実験対象となって死んでいったハツカネズミの名前である。チャーリーは、経過報告日誌の最後に、正気を失ったまま寿命が尽きてしまったアルジャーノンの死を悼み、これを読むであろう大学教授に向けたメッセージ(「ついしん」)として、「どうかついでがあったら、うらにわのアルジャーノンのおはかに花束をそなえてやってください」と締め括る。

『アルジャーノンに花束を』はざっとこんな話だが、何かその時わたしには『アルジャーノンに花束を』と云う物語が一層深い場所で理解できた気が突然したのである。これを書いてる今は残念ながら、その時何を理解したんだかすでに分からない。分かるのは主人公のチャーリーと同じように、歯の痛みとともにあった不思議な感覚を、それがなくなればきれいに忘れてしまうだろうことである。痛みの事ばかり考えていたので、わたしは嘘みたいに今一時的に人の痛みがわかる。明日歯医者の予約をとっている。明日になれば自分のことしか考えない普通のオジさんに戻る。だからチャーリーの真似をして今の内に云っておこう。

「人類よ平和であれ」と。

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Posted by aozame