1989

2021年10月26日

 私は1972年1月9日に生まれた。
 連合赤軍が長野県の山奥で総括と自己批判に明け暮れていた丁度その頃だ。学生だった両親はまだ東京にいたから私の本籍だけは東京にある。父親の仕事の関係で仙台、山口と転々として1990年に高校を卒業した時は九州の福岡県にいた。頭の良い子ならたいして勉強しなくても入れる、頭の悪い子も頑張れば合格できるような1・5流のミッション系の男子校の私立だった。いまは共学になって制服も変わった。偏差値も少し上がった(らしい)。
 私がその1・5流の高校に通っていた時分は所謂バンドブームで、それはもうギターキッズ達が山のようにいたものである。私もご多分に漏れずバンド活動に勤しんでいた。ヘビメタが無闇に好きだったが、バンドで演っていたのはビートルズとかストーンズとか昔のリズムアンドブルースとかそんなのだった。ちなみに初めて仲間とバンドで合わせたのは、めんたいロックのカリスマ「ルースターズ」の「ロージー」でした。少し練習すれば大抵の曲は何となく弾けたから自分はきっと天才なんだなと思っていた。

 時代の流行、傾向というのは遍くあるものだとしても、その下にいる人間の動きは様々だろうからこれは私のいた場所における局地的な感想に過ぎないと言っておいて続けます。

 その頃世間で猛烈に勢いがあったバンドは「ボウイ」だったと思う。あとは、「X」とか「B’z」とかがよくテレビに出ていた。しかし、我々の仲間内やその周辺でそういった流行りの日本のバンドを聴いている人間はひとりもいなかった。私に言わせれば彼らは格下で、金を出して聴くに値しなかった。じゃあ、何を聴いていたかというと、ヴァン・ヘイレン、イングウェイ、ラウドネスやらのハードロックじゃなければむかしの音楽を聴いていた。ディープ・パープルとかツェッペリン、ブルースやジャズとかそんなのを一所懸命聴いていた。その時点では、ギターキッズ達は過去の音楽的影響を色濃く浴びていて、ギターヒーローといえばヴァン・ヘイレンやイングヴェイであると同時にエリック・クラプトンであり、ジミヘンだった。クラッシュも、もちろんビートルズも普通に日常に存在していた。それが私からほんの数年隔てると様変わりする。そんな印象を年下のアマチュアバンドマンと話して感じさせられることが何度かあった。彼らにとってはエリックもジミヘンも古典だ。じゃあ、お前らのギターヒーロって誰だよ?と尋ねてみると決まってあの男の名前が出てきたものである。
 これは局地的事象を目撃した私個人の感想であることを再びしつこく断った上で言うと、この断絶が生じ始めたのは1989年だったと私は思っている。

 1989年に何があったか?もちろん昭和天皇の崩御だ。アマチュアバンドマン達の意識の変化と昭和が終わったこととの間に相関があるのは変な気もするが、天皇が死んでバブル経済も弾けた。昭和の終わりが名実ともに大きな時代の流れの転換を象徴していたことに間違いない。1989年は、我が後輩達がこぞって崇める「あの男」、カート・コバーンのバンド、ニルヴァーナがデビューした年でもある。

 私の高校時代の知合でプロのミュージシャンになった人間が二人いる。ひとりは石原顕三郎という男でこんな音楽を演っている。

「中洲ジャズ」なんかにも呼ばれている。石原は同級生だった。石原は当時から抜群に上手かった。耳がすごく良くて、ボロっちいアコギをエレキギターみたいにガシガシ弾いてた。

 もう一人は百々和宏という男。彼は一つ下の学年だった。「MO’SOME TONEBENDER」というバンドでこんな音楽をやってる。

 百々和宏が高校生当時どんなバンドを演っていたのかは知らない。百々はともかく爽やかで人を包みこむ迎えてくれるような好青年だった。まあ、連中のパーソナリティーなんてどうでもよくて、私が面白いと思うのはこの二人がプロとして作り出した音のあんまりな違いである。石原の音楽はすごく理解できる。我々の学年からプロになるとするならあんな音を出すだろうと思える。しかし、たった一つ下の学年の百々和宏が作った音楽は俺たちの学年の連中からはとても作れないとそう思う。一体百々は高校当時どんな音楽を聴いていたんだろう。ともかく、昭和天皇の亡霊とカート・コバーンがこの断絶の間に居る、と私は勝手に思っているのだった。

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Posted by aozame