ジャズが聴こえる

2022年6月22日

 作家のえのきどいちろうがラジオで「(もちろん100%そうじゃないの括弧付きで)高校生の頃までにジャズを聴かなかった人は死ぬまでジャズを聴かない」と言ってたのを聴いて、秋の夜長に自分がジャズが好きだったことを思い出した。
 言い得て妙だと思う。
 確かに学校を出て以来ジャズを聴くという人にほとんど会ったことがない。懐メロ話で盛り上がるオジサンオバサン仲間には事欠かないが、彼らにジャズの話をしてもキザな奴だと思われるのがオチだから話さない。若い人たちはジャズなんて音楽が存在したことすら知らないかどうだっていい風である。
 ジャズは、わたしが聴いていたようなジャズは歴史になりつつある。

 それほど熱心なジャズファンではなかった。それでもジャズはよく聴いたし、ギターでチャーリー・パーカーのコピーをしようとさえした。マイルスが死んだ90年代前半はまだジャズはかろうじて生きて居て、十分に格好良くて刺激的な音楽だった。しかしながらジャズは自分で演奏するには難し過ぎた。ちょっと楽器をかじっただけのティーンエイジャーがどう頑張っても立ち向かえる音楽ではなかった。その技術的難しさとそれを身につけた結果に得られる世間の反応と釣り合わなくなってしまったのがジャズの衰退の原因の一つじゃなかろうか。新しい音がたくさん出て来た。音楽好きの高校生が自らやろうとしないような音楽なんて生き延びるわけがないじゃあないか。

 かつてジャズを輝かせていた要素の一つに「言葉」がある。ジャズファンを自称するみなさんがどうだか知らないが、80年代から90年代にかけて青春時代にジャズを聴いたわたしにとってジャズと「言葉」は切り離せない。ジャズはジャズマスターたちの伝説と煌びやかなエピソードと彼らの音楽の解説と評論と共にあった。

 例えば、マイルスバンドにいた時代のジョン・コルトレーンの逸話の中にこんなのがある。
 バンドに再参加した1950年代後半、コルトレーンのソロがどんどん長くなって3、40分もテナーを吹いてるなんてことが度々あった。ソリストならその間ステージを降りて一杯飲んだり一服したりできるがリズム隊はそうはいかない。ヘトヘトになるまで一緒に演奏させられる。手汗で滑ったドラムスティックが客席に飛んで行ったりする。見兼ねたバンマスのマイルスがメンバーの一人に、「なんだってああいつまでもソロを吹いてやがるんだ?」と訊きに行かせた。自分で訊かないところがマイルスっぽいなぁ~、なんてまず勝手に思ってニンマリする。コルトレーンはこう答えたらしい。
「いやぁ、どうやって止めたらいいかわからないんだよね」
 その風貌を写真で観て、これまた勝手に寡黙な男だと思い込んでいるジョン・コルトレーンが演奏になると饒舌になる自分を止められないところがカッコイイ、とかまたまた勝手に思う。そして、それを聞いたマイルスはこう言うのである。
「なにを言ってやがるんだあいつは。ラッパを口から離しゃイイじゃねぇか」
 そんな話を胸に『カインド・オブ・ブルー』を聴き、

「1960年、ジャズにおいてのハーモニーとアドリヴの技術の革命とも言える、ジョン・コルトレーンによる『ジャイアント・ステップス』のアルバムが発売されたが、このタイトルチューンである『ジャイアント・ステップス』において、ジョン・コルトレーンは今だかつてなかった「3トニックシステム」という手法で、3つの全く異なる調性の間を一瞬一瞬で転調する中で縦横無尽に緻密なアドリブを取る離れ技をやってのけた。そしてそのアルバムの3曲目のCountdownにおいては6トニックシステムを使い、更に速いテンポの中で6つの全く異なる調性の中を、驚異的な緻密さを以て演奏し、ジャズの技術の限界を提示した。 ーfrom wikipedia 」
 こんなゴタクを頭に叩き込んだ上で『ジャイアント・ステップス』をターン・テーブルに載っけた。

「彼の音楽は~何かすごいもの、理解しがたいパッケージをテーブルの上にひょいと置いて、一言もなくまたふらりと姿を消してしまう「謎の男」みたいだった」
 なんて村上春樹が書いてるのを横目にしながらセロニアス・モンクのピアノを聴く。ついでに、後に現代音楽の作曲家になった知り合いのピアニストが、一度だけ観た武満徹が、コンサート前のリハーサルで『ラウンド・ミッドナイト』をひとり爪弾いていて、その演奏が腰を抜かす程良かったのだ、なんてハイライトの煙を天井に向かって吐き出しながら教えてくれる。

 当時は絶版になっていたが古本屋を覗けばいくらでも手に入った、サブカルのカリスマにしてジャズマニアでもあった、「J・J氏」こと植草甚一の『スクラップブック』を開けば、『ビッチズ・ブルー』が出た時のマイルスのインタビュー翻訳が載っている。これがまたカッコイイ。
「まあグループの誰かが余計なものを加え、それにたいして音楽的に反応していくといったらイイかもしれないね。それから、ときどき引算みたいにしてリズムを減らしたり、そのなかの高音だけ残したりしてね。でなければ、ほかの人たちのものを、フィーリングだけを大切にして取りあげたりする。ぼくは、たとえばディジョネットに、こんなことをやらしてみたいとか、コリアならできるだろうと思うと、そうしたところを譜面にして見せるといったわけなんだよ。気にいらないフレーズばかりを繰りかえすと、そのへんを譜面にしてやることもあるな。ともかく自分ではこのくらいだろうと考えているのを、もっと伸ばしてやりたくなってくる。けれど、そんなとき、こっちの気持がつうじないとなると癪にさわってくるんだ。なんのために金をはらって雇っているんだろうと考えてしまうし、あんまり頭がにぶいと勝手にしろ、といいたくなってくるし、そいつの演奏の邪魔ばかりしてやることになっちゃう。つまり警官が非常線を張って通さないようにするのを、ぼくはトランペットという道具でやってのけるんだ。そうでないと、なかなかよくならないからさ」

 いまこうして振り返ってみると、果たしてかつてのわたしがジャズという「音楽」を聴いていたのかどうだか怪しい。わたしはただ「ジャズ」という現象の残り香をその最後のところで体験していい気分になっていたいただけなのかもしれない。まあ、それもいいじゃないか。時代も街の空気もわたしも変わってしまった。ジャズは歴史になったが、いまやっとジャズという音楽を純粋に聴くことができるような気がする。言葉はもう要らんかな。YouTubeを立ち上げて、モダン・ジャズのシャフルを流す。誰のだかわからないラッパの音が空気に混ざる。花形の楽器じゃないと、むかしはあんまり聴かなかったギターの音がひどく心地いい。ピアノの音は水の音に似ている。ジャズは秋の風景と心持ちにとても合う。
 先日職場でのことである。
 糖尿持ちの班長が休憩室から涙ぐんで出てきた。なんでも休憩中にテレビでやっていた映画が自分のことのように心に響いたとのことである。松山ケンイチが引きこもりの青年役を演じるドラマの再放送だ。父子家庭の父親は頑固な元教師で演じるのは武田鉄矢。ブルーハーツとSNSが破綻した彼らの親子関係をかろうじて繋いで行く話だ。わたしも前に観た。
「あんたの息子は家にはいるけど働いてるでしょう。引きこもりやないでしょ」と誰かが言う。
「俺の言うこと聞かんのは一緒やね」と班長。
「全然一緒じゃないですよ」
「ところで門倉さんはどれくらいの期間なら家に引きこもれますか?」と違う誰かが言う。
「必要なものは全部家にあるとしてですよ。漫画もテレビもPCもあるとして。酒もあります」
「俺はそれでも1日くらいしか家に居れんかもしれん」とわたし。
「それそれ!そうゆうこと言う人いますよね。それってなんなんすかね?俺は家がいいっすね。基本家が一番くつろげる場所なはずでしょ。なんでわざわざストレスに見舞われるかもしれない外に出たがる?なんで用もないのに外に出たがるんすか?」とまた違う誰か。
「まあ、気分転換的な?」とわたし。
「そんなの家ですりゃいいでしょ」
「俺も家にはあんまり居りたくないよ。息子と母ちゃんに虐げられてるから」と班長が口を挟む。
 そして話は次第に逸れて行く。
「『鬼滅』の時代設定が大正時代なのってなんでか知ってますか?」と誰かが言い、
「とは言え子供の為には俺も車で遠出したりはします」と違う誰かが話を少し元の軌道に戻す。「100%子供の為で俺も嫁も自分たちだけだったらキャンプとか絶対にしません」
 そしてひととおりそれぞれが出かけた観光スポットの話になり、さらに福岡の心霊スポットから部落差別の話になり、コロナで西鉄の経営が苦しいみたいやね、とか話してる所で出入業者のトラックが到着したので秋の夜長のセッションは終わりを告げた。
「そういえば班長。あの松ケンのドラマは映画じゃないですよ」と最後にわたしは言った。
 これってジャズやね、とふとわたしは思ったのだった。

 作家のえのきどいちろうがラジオで「高校生の頃までにジャズを聴かなかった人は死ぬまでジャズを聴かない」と言ってたのを聴いて、秋の夜長に自分がジャズが好きだったことを思い出した。

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Posted by aozame