民のいない神/地球の破壊者たち インターポール事件ファイル: “海のコカイン” 闇のフィクサー/狂骨の夢/THE SCRAP

2024年4月28日

 イスラエルのニュースを観ていて、2015年に読んだ本を思い出した。確かユダヤ人について、ユダヤ人の生き方考え方金の使い方について少しだけ理解できたような一節があった気がした。ざっと読み返すと思っていたのとは違ったがこんな件がある。

 玄関の扉を開けたのは、J・クルーのカタログのモデルのような身なりをした、驚くほど美形の若い男だった。男はチェイスと名乗り、二人の荷物を受け取って、「バックマンさんとウィンターさん」は外のデッキにいると言った。室内を見たとき、リサは少し息をのんだ。そこにあるのが高級品であることはジャズにも分かった。

 ジャズはこの日、スーツ姿でないバックマンを初めて見た。彼はテニス用の短パンを穿いていた。そこから下に伸びる二本の脚は白い枝の様だった。彼と一緒にいたかなり年上の男はエリスという名で、彼のパートナーだということだった。ジャズは自分を愚か者のように感じた。どうしてバックマンはこの男性のことを一度も話してくれなかったのだろう?僕が嫌悪感を抱くと思ったのか?そう。僕らはそういう問題にとても敏感だ。とても保守的。

どの椅子にも、どの装飾品にも豊かな歴史があるようだった。これほどのコレクションを収集するには一体どれだけの時間がかかったのだろう?その背後にある知識を得るのに、さらにどれだけ長い時間がかかっただろう?

リサは夕食のために着替えをしながら、屋敷の主人たち、彼らの教養と美的感覚について熱狂的に語った。

 ジャズはリサが二階で話していたことの意味を考えた。彼女の言う通りなのか?僕は偏屈か?バックマンのような生き方が理解できないということは認めざるをえない。第一に年が離れすぎだ。二人は家族ではない。少なくとも、ジャズが考える意味の家族とは違う。もしもそれを引き継ぐ者がいないのなら、これだけの富と文化に何の意味があるのか?

 客がテーブルを離れ、酒を飲み始めると、バックマンとリサは書斎に向かった。バックマンは新たな宝物を見せびらかした。ユダヤ教神秘主義に関する初期の書籍のコレクションだ。これは1580年代にアントワープで印刷された『光輝の書』のテキスト。こっちは18世紀にポーランドで出版されたイサーク・ルリアの『生命の樹』…。リサは「ああ」とか「おお」と小さな驚嘆の声を上げた。それは単なる社交辞令ではなかった。彼女は本当に心を動かされていた。

「素晴らしいコレクションだわ」うっとりとリサが言った。

「われわれはこの伝統の中で仕事をしてるんだってことを君のご主人にも話しているんだが、まだ信じてもらえていないようだ」

「ウォルターの話はご主人からどこまで聞いているのかな?」

「コンピュータプログラムのこと?少しだけ。彼の話では、あなたのおかげで会社は大儲けしているとか」

「それは間違いない。でも、われわれがやっているのはそれ以上のことだ。私たちはデータを相手に仕事をしているんだ。バラバラなことを比較し、結び付きを探す仕事。カバラ信奉者にとって、世界は記号で成り立っている。これはポストモダンな比喩ではない。文字通りの意味だ。世界創造以前にトーラーは存在した。そして、万物はトーラーの謎の文字から誕生した。現代の世界はもちろん、ひどく壊れてしまっている。完璧な世界がバラバラになっている。しかし、こうしたさまざまな現象の間につながりを見つけることで、ジャズや私のチームはささやかながらその記号を読み解き、破壊された世界を元に戻す手助けをしているのだ」

 二人の間にある共犯的な関係を察したジャズは、ラージの割礼に関するくだらない議論をして以来久しぶりに、妻がユダヤ人であることを改めて思い知らされた。

 彼は汗だくになり、自分が癇癪を起さない自信が持てなかったので、口実を作って客間に戻った。彼は自分がそこに何をしに来たのかを考えた。彼には他の人たちとの共通点がない。本当のところ、深い部分では共通するものがない。彼らの芸術や文化、書籍や絵画、シャブリ・グラン・クリュのワインに対抗できる何を彼が持っているだろうか?田舎の村と泥の煉瓦、地酒と名誉の殺人 ―そんなものから、彼は一世代しか隔たっていない。単なる成り上がりの農民だ。確かに、彼の方にも文化がないわけではない。シク教の英雄集団であるカールサの栄光とか。しかし、それが彼にとって何の意味があるのか?インドは彼の国ではない。

 そして、これ。根底はこれ。少し酒を飲むだけで、憎悪が下痢のようににじみ出る。おかまとユダヤ人。彼は伯父たちと変わらない。何年か大学に通って、ベニヤみたいな文化を身に付けたって、結局は、臆病で常にいらついている無教養な田舎者にすぎない。彼はそんなことを考えながら重い足取りで突端の岩まで歩き、そこで向きを変えた…再び屋敷に戻ると、疲れたふりをして床に就いた。

 

 同僚のユダヤ人富豪の生き方を見て、

「もしもそれを引き継ぐ者がいないのなら、これだけの富と文化に何の意味があるのか?」

と、疑問に思うこのインド系の2世の主人公は、『民のいない神』に登場する様々な人物の中で唯一わたしといくらか親和性のある人間だ。

「彼らの芸術や文化、書籍や絵画、シャブリ・グラン・クリュのワインに対抗できる何を彼が持っているだろうか?」

という彼の劣等感もまた親しみがある。

 日本人の富豪は家族親戚、家系のために金を稼ぐ。

 しょぼい。

『民のいない神』の中のユダヤ人はユダヤ民族のために自分の知能を使い莫大な金を稼ぐ。

 2015年にこの本を読んでユダヤ人の大きなスケールと虚無と筋金入りの意地の悪さを勝手に感じたわたしは忸怩たる思いに駆られた。

 また、最近BSで『地球の破壊者たち インターポール事件ファイル: “海のコカイン” 闇のフィクサー』というドキュメンタリーを観て久しぶりに同じ劣等感に見舞われた。

「インターポールが環境を破壊する犯罪で巨万の富を得る裏社会の大物を追跡する。海のコカイン=絶滅危惧種の魚トトアバを密猟するメキシコのカルテルと、中国人黒幕の正体。

メキシコのコルテス海に生息するトトアバというニベ科の魚の浮き袋は、中国で若返りの効果がある漢方薬として珍重される。インターポールは中国の要請で国際闇取引を牛耳るジュンチャン・ウーを捜査。メキシコに逃亡したウーが、現地カルテルの資金源としてトトアバの密猟に関わっていることが明らかに。 原題:PLANET KILLERS GODFATHER OF THE OCEANS(フランス 2023年)」

 この番組によると、中国マフィアの黒幕はメキシコ人ギャングを手先に使ってコルテス海(カリフォルニア湾)で絶滅危惧種のトトアバを乱獲して大金を儲けている。中国人の極悪人はメキシコやアメリカで何の変哲もない場末の小さな中華料理店を営んでいたりするのだそうだ。その世界を股にかけた悪党に、かつてあの銭形平次も在籍したインターポールが捜査の手を伸ばしている。しかし、メキシコ政財界に盛大に賄賂をバラまいているのでインターポールも追い詰めきれない。久々に名前を聞いたシー・シェパードなんかも事態を重く見て目を付けてる。まったくロクでもない奴等だと思う。この中国人の悪党ぶりに比べたらジャパニーズ・ヤクザはかわいいものだ。海外の東南アジアに出かけて行って、そこから祖国日本の年寄りによってたかって電話を掛けて、バカな大学生やフリーターを現場要員に使って連中の老後の蓄えなんかをせっせと掠め取ったりしてるんだから。

 

 しかし、まてよ。

 京極夏彦の『狂骨の夢』ってそんな劣等感に応える話だった。

『狂骨の夢』は記紀に伝わる神タケミナカタの頭蓋骨を取り合う話だ。取り合いに参加する人物はたくさんいるが、関係者は大きく3種類に分けられる。

一つ。癩病を患う父親に貴人の頭骨を煎じ与えると病に効くという民間療法を施そうとする度外れた孝行息子とそれを取り巻く人々。

一つ。500年来の悲願、皇位の復活を果たすべく暗躍する真言密教立川流の信者と後醍醐天皇の子孫。

一つ。数千年来の悲願を果たすべく、全国をタケミナカタの骨を代々集めて周っている神主集団。

「ご本尊(立川流の本尊は髑髏)を黒焼きにしたのかッ。何と云う罰当たりなことを!」

 関口にとって鷺宮の言葉は滑稽なだけだった。本尊に祀りあげるのも、薬にして煎じるの、大差ないことのように思えたからだ。

「ただ申義さんは最初の計画では人知れず髑髏を拝借してその一部―たぶん頭頂骨のてっぺんーを削り取り、再びこっそり元に戻しておくつもりだったのだと思います。しかり騒ぎは大きくなり、それどころではなくなってしまった。二人は取り敢えず逃げて薬を造った。髑髏は所期の予定通り上の部分を削られた」

「そうか!それで失敗したのか!七魄が欠けておったのでは、長者の法力が如何に強かろうとも、我等が如何に精進潔斎修行に励もうとも、まともな本尊の成る訳がない!」

「さあて、その所為ですかな」

 京極堂は嘲るように云った。しかし鷺宮には聞こえなかったらしい。

「そうか、佐田の倅はそんなことのために我がご本尊を汚したのか。くたばり損ないの爺さんの命を救うために ―我等が五百年の大願はー 」

「それが佐田申義さんの夢だったのです」

「夢―?」

「あなた達が皇位を奪回すると云う夢を持っていたように、佐田申義さんは父親の病気平癒と云う夢を持っていたのです。そしてもうひと組 ―そこの髑髏に夢を託した者どもがいたことを ―忘れてはなりません」

「ああ ―<汚れた神主>―」

「何だ?その神主と云うのは?」

「あなたがた鷺宮一党が本尊に仕立てようとし、佐田申義が薬の原料にしようとした髑髏の正当な持ち主である、武御名方富命を主祭神に奉じる神人の一団のことです」

「武御名方 ―だと?」

「鷺宮さん。あなたは軽々しく五百年の大願などと口にするが、そんなことを自慢するなら彼等の大願は千五百年以上も前からの大大願だ!」

「千五百年 ―だと?」

「そうです、南朝も北朝もない神世の昔の怨恨ですからね。彼等は太古の国譲りの際、天孫に譲ってしまったこの国を、奪回しようとしていたのです」

「国譲りだと?御伽噺でもあるまいに、何を戯けた ―」

「言葉を慎んだ方がいいですよ鷺宮さん。南朝だろうが北朝だろうが、いずれの皇統もその御伽噺に拠って正統が認められているようなものだ。武御名方が勝っていたら南北朝もありえなかった。根拠がないと云うならあなた達だって同じなのです。問題は信じているか否かでしょう。あなた達にとってそれが真実あるように、神人達にとっては武御名方の無念こそが真実だった ―」

 自分のためだろうと、家族のためだろうと、家系のためだろうと、国のためだろうと民族のためだろうと、自らの差別化が原点にあるのなら、スケールの大きさなど問題にならない、ということだ。どれも平等に利己的で、平等にしょぼいのだった。

 ユダヤ人で話を始めたから、ユダヤ人の話で終わろう。こちらのエピソードは素直に関心してしまう。すごいなぁ、と思う。

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Posted by aozame